RLL36 PUNKY REGGAE PARTY

<RLL>

color / イエロー
size / GM

Yeah, it’s the punky reggae party♪
And it’s tonight♪
Punky reggae party♪
And it’s alright♪
Oh ah!
記念すべき第1回「パンキー・レゲエ・パーティ」は1977年ロンドンで開催された。ボブ・マーリーは、前年の暗殺未遂でジャマイカから亡命するような気 持ちでロンドンに移住。はじめボブは、当時ロンドンで起こっている「パンク」にあまりいい印象を持っていなかった。そんな彼にその一大ムーブメントをたっ ぷりレクチャーしたのが、今や映像作家として有名なドン・レッツ青年だった。
当時ライブハウス〈クラブ・ロキシー〉でレゲエをかけパンクスを踊らせていたドン・レッツは、共に「社会に対する怒り」を持つ「UKパンク」と「レゲエ」 を繋げて連夜の宴会を盛り上げていたのだった。そのバイブスを受けてボブは、シングル『Jamming』のB面として『punky reggae party』を発表し、UKのパンクスたちに呼応した。これは音楽史上最も美しいエピソードだと言っても過言ではないだろう。
Wailers still be there♪ The Jam, The Dammed, The Clash♪
(ウェイラーズがそこにいる、ダムドもジャムもクラッシュも)
Wailers still be there♪ Dr. Feelgood too, ooh♪
(ウェイラーズがそこにいる、ドクター・フィールグッドも)
しかし、この曲を聴いて憤慨した者がいた。レゲエ狂で知られるセックス・ピストルズのジョン・ライドン(ジョニー・ロットン)だ。仲間外れにされたことに すね、バンドを突然解散。パパラッチから逃れるためにジャマイカはキングストンにセンチメンタル・ジャーニー。この地であの伝説の第2回「パンキー・レゲ エ・パーティ1978」が秘かに開催された。
憧れのビッグ・ユースと対面して小躍りするジョン。その動きに応えてドレッドをかき乱しながら、ニヤっと自慢の金歯を見せるユース。交歓のダンス! それは異文化の身体同士が繰り広げる密なコミュニケーション世界。そんな貴重な瞬間を今回はバビロンチックにも商品化。他の出演者は、ロンドンから写真家 デニス・モリス、ジャーナリストのヴィヴィアン・ゴールド、タニマチの社長リチャード・ブランソン、ジャマイカからは、U-ロイ&I-ロイの友愛コンビと そのフレンズ。総合演出は、やはりあのドン・レッツだ。
「パンキー・レゲエ・パーティ」のオーガナイザー、ドン・レッツは言う。「異なる文化が接近し、理解しあうときほど素晴らしい瞬間はない。ロンドンでパンクがレゲエに惹かれたように、俺達もニューヨークでヒップホップに夢中になった。異なるところに住む者どうしを近づけ理解しあう手助けをしてくれるのが文化なんだ。それは教会にも政治にも政府にもできない。カルチャーだけが、その役割を果たせるんだよ! それこそが俺達がやっていることの最も重要な機能だ」
若いドン・レッツは、当時大流行したファンクやソウルを通じてブラック・パワーに目覚めた。ブラック・パンサー党の政治思想に影響された時期もあったが、 やがてますます過激になっていくマッチョな黒人至上主義にシンパシーを寄せられなくなっていた。そんなとき、当時のガールフレンドと経営していた「アクメ (性的絶頂!)アトラクションズ」という古着やヴィンテージ品を扱うショップで、異なるコミュニティに属する面白い連中たちに出会い、ヘヴィ・ダブが流れ る店内で連夜の宴会を繰り広げていた。店に来た客どうしがまた出会い、そこはアイデアと情動を交換する場所のようなショップのような、わけのわからない空 間になっていった。答えはこの頃にすでに出ていた。まるで高円寺一揆衆(aka 素人の乱)を見るようじゃないか!

余談。ジョン・ライドンは、ジャマイカから帰ると、ベースのジャー・ウォブル、ギターのキース・レヴィン、ドラムのジム・ウオーカーと共にパブリック・イ メージ・リミテッド(PIL)を結成する。ドンのアクメ時代のガールフレンド、ジャネット・リーもメンバーだ。RLLのロゴがPILのロゴにそっくりだっ て!? 気のせい、気のせい。
ボディの色はイエロー。お約束のラスタ・カラー仕立て。

¥ 3,000

SOLD OUT

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